【文明】エジプト文明「文明の源流を探る」


高齢化の進むこれからの日本は、労働人口も減少することから、介護をはじめとするサービス業に、海外の多くの人々を受け入れなければならない状況になってきています。製造業は、その市場ともいえる発展途上国への進出がますます活発化することでしょう。

過去において、国内外の人々の「日本人化」は最悪の道をたどりました。なにを行うにしても、その国の文化を尊重し相互理解することが大切です。その意味において、世界の文化の背景にある宗教を理解することは、これからの日本人にとって、必須のことではないでしょうか。
そこで、宗教の起源ともいえる、エジプト文明をまとめてみました。



 

著書は、老眼鏡を駆使するわたしにとりまして、わかりやすい大きな文字なので、助かりました。それにしても、日本の代表的哲学者:梅原猛氏の深遠な洞察と、日本人:吉村作治氏の大胆な仮説は、なるほど、と思わせるものでした。

本を読んでない方のために、ざっくりと歴史の流れを解説します。

まず、46億年前に地球が生まれ、500万年前には人類が誕生しました。そのころより、採集や狩猟での生活が始まったわけです。さらに10000年前にそれまでの氷河期から温暖期に気候が大きく変動していき、左上の地図にあるように、BC8000年ころに、現在のイラクあたりに農耕文化が出現、この文化の影響がエジプトや東の方へ伝わったようです。

故S.ハンチントンが「すべての文明には宗教がある」と述べているように、民衆を統率すべく宗教が生まれた背景をわかりやすく理解するには、エジプト文明を読み解くことがいいのではないかと、私見ながら、思います。

BC5000年には、ナイル川の上流(アメン神)と下流(太陽神ラー)に王朝ができました。BC3000あたりからBC2686にかけて、新約聖書を思わせる、「三位一体(オシリス/イシス/ホルス)」、「再生神(イシス)」,「処女受胎(オシリス/イシス)」の話が登場します。

吉村作治氏は、ピラミッドについて、ジュセル王(階段型)とクフ王(真正型)のピラミッドの形状から、ものの考え方の違いについて指摘します。階段型は天に向かって昇ることから「直線型思想」であり、クフ王のピラミッドは「循環型思想」だ、というわけです。

ピラミッドの役割が、墓であるかそうでないかの論争は専門家にまかせるとして、ここでは、吉村仮説をベースに述べることにします。

太陽神ラーは、日の出とともに太陽神ケプリとなって現れ、「昼の船」に乗り、そして、日没の太陽アテンとなって、「夜の船」に乗り、帰ります。王が死ぬと、あの世にいきますが、その魂は太陽神と同様に、日の出とともにこの世に現れます。この時に滞在する場所がピラミッド。日没になるとまたあの世に戻る、といったように、魂は循環していくという考え方です。日本人の場合、ピラミッドを「位牌」と考えるとわかりやすいでしょう。バラモン教(ヒンドゥ教)や仏教との共通性があるのかもしれません。

さて、新王国時代になると、ふたつの話が絡んできます。ひとつは、BC1720に東方のイスラエルのヤコブの息子兄弟から迫害されたヨセフがやってくる話です。やがてヤコブ一族は、ヨセフの許しを得て、エジプトのゴセンに移り住むことになります。

もうひとつの話は、一神教のエジプトが次第に勢力を強め、アメンラー神官なる集団がにらみを利かせるようになったことから、王の末裔は、アケトアテンに逃れ、ここにアテン神を唯一神とした理想国家を作ろうという話。一度叩いたアメンラー神官のクーデターに合い、結局、首都をメンフィスに移すことになりますが、ここで、王に祭り上げられたのが、トゥトアンクアテン王でした。神は、アテン神の唯一神から、アメン神に戻ったことから、名前が「トゥトアンクアメン王(ツタンカーメン)」に変わります。

唯一神アテン神は、このあたりで姿を消すはずだったのですが、どっこい、ヨセフの末裔に引き継がれます。BC1290 エジプト王妃に拾われたモーゼは、同胞のイスラエル人を奴隷のごとく扱うエジプト人に腹を立て、狼藉を働きシナイ山へ逃げます。結婚後、エジプトに引き返し、全イスラエル人を連れてシナイ山へ。ここで神の啓示を受け、十戒を賜るという話につながってきます。ここで、一神教であるユダヤ教が誕生することになることから、「一神教は、エジプトの唯一神であるアテン神に由来するのではないか」という推測が成り立つわけです。

エジプトはやがてローマ帝国に滅ぼされます。また、イスラム教は、西暦500年ころに、メッカでマホメットがおこしますが、コーランによれば、このメッカには、一神教の祖:アブラハムと最初の息子イシュマルにより、イサク出生前にカアバ神殿が建てられた、となっています。年代的には、このあとにエジプトのルクソール神殿が建てられたことになりますが、ローマ帝国が進出してきた時、エジプト人の一部は、南のイエメンに逃れ、再度北上し、このメッカ近辺に移り住み、カアバ神殿に在りし日のエジプト王を偲んだのかもしれません。

いずれにせよ、エジプト文明が、その後のいろいろな宗教に及ぼした影響は非常に大きかった、という吉村作治氏の説は、ありうる話だと思った次第です。

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